歴史

体育学科の創設のその意義

昭和33 年1 月10 日、既設の文学部各学科に新設学科として教育学科(教育学、体育学)、地理学科、数学科、物理学科を加えた文理学部が認可され、世田谷の教養部に代って文理学部が誕生、昭和33 年4月から日本大学文理学部教育学科体育学専攻の課程が発足したのである。

新教育制度は、教員養成を専門職業教育の一つである師範教育から一般教養を重視する大学教育へと転換させた。これにともない、一般師範教育以上に特殊化していた体操教員の養成も大学教育の課程と位置づけられ、新制大学の発足とともに、まず昭和24年に東京大学教育学部体育学科と東京教育大学体育学部の体育学科と健康学科、ならびに日本体育大学体育学部体育学科の開設が認められた。しかし、日本体育大学の場合は、物的条件のみならず「尚教員組織についてはその充実に至るまでは本委員会に協議しなければならない」と付帯条件付きであったように、旧制度下の体操教員養成機関が体育教員養成の4年制の大学専門教育として認知されるのは容易なことではなかった。昭和26年開設の順天堂大学体育学部の場合は、医科大学を母体とする医科学色の濃い体育学の充実を強調している。

以後、本学体育学科開設に至る昭和33 年までに創立された体育専門課程は、大阪教育大学保健体育教員養成特別課程(昭和29年)、天理大学体育学部(昭和30年)の2大学にすぎない。

そして、昭和33 年に日本大学文理学部教育学科体育学専攻の課程が、国士舘大学体育学部と広島大学教員養成課程の特別教科としての保健体育とともに認可、開設されることとなり、以後、4 年制体育専門課程の新設ならびに学科創設が急増するのである。

したがって、本学体育学科の創立は、既存の専門学校を新制大学に移行するための過渡期での現象ではなく、本格的に大学専門教育として体育が認知されるようになった当初の事例であり、かつ総合大学、とくに文理学部の中に位置づけられたことは、数ある体育だけの単科大学、学部、あるいは教員養成大学の特別課程のいずれと比較してみても、明らかに本学体育学科の一大特色なのである。

とくに教育学科の一専攻と位置づけられながら、体育学のほかに、レクリエーション、健康教育のコースを設置したことは、その後の他大学の学科増設の例から見ても、体育学の将来を洞察しての卓見であったと指摘できる。

平野平三 日本大学名誉教授,「学科創設の思い出」より。「体育学科50周年史」,平成20年8月

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