桜門体育学会の歴史

桜門体育学会の誕生と変遷

桜門体育学会会長

吉本 俊明

 

 日本大学文理学部に体育学科が生まれたのは1958年であり,その年の4月には第1回目の新入生を迎えることになります。体育学科が発展するためには,研究発表会の開催や機関誌の刊行は不可欠です。体育学科において初めて研究発表会が開催されたのは1960年11月17日であり,在学生2名,教員5名による発表と質疑応答でした。1962年3月に最初の卒業生を送り出すと,卒業生を含めた学術研究発表会という名称で開催されるようになりました。また,最初の卒業生を送り出した1962年3月からは卒業論文の抄録が,「卒業論文抄録集」として体育学研究会の名で刊行され,学園紛争で発行できなくなる第7回(1968年3月)まで続きました。

 「桜門体育学研究」第1集が刊行されたのは1965年3月ですが,この時点では「桜門体育学会」という名称は存在しませんでした。当時の主任教授であった松井三雄先生の「発刊の辞」には,「卒業生も約200名となり,ちょうど4月から大学院文学研究科教育学専攻の中に体育学専攻のコースが開設されることが決まっている時期であり,大学側の好意により発刊できた」と記されています。その機関誌の奥付に「桜門体育学会」の名がみられるようになるのは,第3集(1967年3月)からです。

 「桜門体育学会」という名称は,ちょうどその前年(1966年11月)に開催された同窓会総会で承認された改称であり,研修,懇親とともに研究を含む同窓会そのものの規約改正によるものでした。その後,研究活動については任意加入であるべきであろうということから,同窓会組織と学術研究団体の性格を持つ「桜門体育学会」が分割されることになったのが1972年8月です。

 その後,長い間この形式が続けられてきましたが,桜門体育学研究の発行にしても,学術研究発表会の開催にしても,体育学研究室が主体の事業でした。その組織を改組しようとなったのが2009年10月に開催された総会の席です。この「桜門体育学会」を学科の外部組織として位置づけ,機関誌については従来の「桜門体育学研究」を引き継いでいきますが,独自の学会大会を開催するとともに,学会としての研究活動を推し進めようというものです。2010年は,その新たな組織の第1年目となります。